人には耐えられない二つの侮辱

アメリカのある作家はこう言っています。

「人には耐えられない侮辱が二つある。
 苦労知らずという断言と、
 ユーモアのセンスがないという断言だ」

なぜ、この二つには耐えられないか?

「君は苦労知らずだ」という断言は、
言い換えれば「キミは話にならない子どもだ」
「キミは私と対等に話せる相手ではない」
という意味でしょう。


もしあなたが、あることで悩んでいたとします。

しかし、それを五歳の子どもに聞いてもらおうと思うでしょうか?

五歳の子どもは、五歳の子どもなりに、
あなたの心をなごませてはくれます。

しかし、あなたの悩みを話したところで
わかってくれるとは思えません。

人生の経験の幅があまりにも違いすぎるので、
対等には話せないのです。


これと同じで、あまりにも苦労知らずの人とは、
経験の幅が違いすぎて対等に話せないことがあるのです。

状況もわかってもらえないし、
気持ちもわかってもらえないでしょう。

あまりにもおそまつで、
陳腐なことを言われるかもしれません。

そのおそまつさを自覚してもらうためには、
相手に経験を積んでもらうしかないわけで、

今、ここでそのおそまつさを説明しても
理解してもらえません。


そこで「苦労知らず」という断言が飛び出すのです。

話は終わり、ということです。

だからこそ、これは言われたほうにとっては侮辱なのです。



ユーモアのセンスのほうも同じような事情があります。

ユーモアが通じないというのは、
説明してなんとかなるものではありません。

「今いったジョークはこれこれこういうことなんだ。
 おかしいだろう?」
「アッハッハッ」

とはならいでしょう。

「ユーモアのセンスがない」というのは、
「キミは、私が愉快に話せる相手ではない」
という断言なのですから。

そばにいてほしいのは、自分と同程度に苦労を経験し、
気持ちが共感できる人であり、

またユーモアのセンスがあって、
楽しく会話できる人です。

だとすれば、苦労をすることも悪くないですね。

わざわざ苦労をしたい人はいませんが、
「苦労知らず」は決してうらやましいことではありません。

長い目で見れば苦労を知っているいるのは
いいことだと思うのです。


ただ、苦労って後から「あの時があったから」
って思うんですよね。

苦しいときはそんな風には思えない。

だから、苦しいときには、苦しいときなりに動いて、
じたばたして、なんとかやり過ごすしかないのかもしれません。

  

◆編集後記 年末年始は食べ過ぎました。

走っていてどうも体が重いと思ったら、3キロ増です。

1か月後には青梅マラソンで30キロ走るので、
それまでにはベスト体重にもっていきたいところです。



今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
あなたにすべての良きことが、なだれのごとく起きますように(*^。^*)
第335号(2016年1月15日)

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