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心のストレッチルームには、「もしかしたら私、アダルトチルドレン(AC)なの?」というお悩みを抱えてカウンセリングを受ける方が多くおられます。そんなACの方々の体験談・相談事例をご紹介しましょう。
【免責事項】個人の感想であり効果効能を保証するものではありません。
職場の人に恵まれていたはずなのに、常に周りの目を気にしながら仕事をしていたため心をすり減らし、ついには限界を感じ、休職に追い込まれてしまいました。この理由のわからない「生きづらさ」から解放されたくて前田先生の元を訪れました。
私はいわゆる機能不全の家族で育った「アダルト・チルドレン」です。カウンセリングを進めていくうちに私の生きづらさは「母親との関係」に原因があることがわかりました。
人には考え方の癖があり、私は母親との関係の中で「自分には価値が無い」といった考え方を植え付けられてきてしまっていたのだと思います。その考え方の癖が自分自身を生きづらくさせていました。
カウンセリングでは考え方の癖をよい方向に導いたり、気持ちの落ち込みが大きくなりすぎないようにする方法を教えてもらいました。カウンセリングを重ねて行くうちに、自己肯定感が少しずつ上がりました。
前田先生のカウンセリングで私は、自分の人生を、自分の選択で生きられるようになり『自分らしさ』を取り戻し、今の自分が好きになることができました。
自分を好きになり、前向きになれてからは、周りの人々も自分の事を大切にしてくれていることがわかり、復職してからは「今の自分のままでいいんだ!」と思えるようになり、自分らしく自分のやり方で、仕事を進められるようになりました。
自分らしく生きている実感を持てるようになってからは、物事がドンドンよい方向に動くようになりました。何故か仕事がうまくいかないなど、悩んでる方は、カウンセリングで「自分らしさを」を取り戻してみませんか?
仕事は問題なかったのですが、プライベートがうまくいかず困っていました。
彼氏ができそうなときもありましたが、いつも母に邪魔をされます。「あなたにはもっとふさわしい人がいる」それが母の口癖です。
母のいうふさわしい人というのは、性格や人柄は二の次で、社会的地位のある人やお金持ちの人です。昔からそうでした。「〇ちゃんの親は○○をやっているから友達になっちゃだめ」 「〇ちゃんは勉強ができないから一緒にいるとバカになるよ」そんな母の言葉は絶対的で、母に従って生きてきました。
父は医者で、社会的地位はあったのでしょうが、家庭内では子育てに興味がなく影の薄い存在でした。情緒的なつながりを感じたことはありません。
大人になり、いいなあと思う男性がいても、まず母の顔が浮かびました。
母に気にいってもらえるかどうかの方が気になって、自分の気持ちを伝えられなくなっていました。私のことを気に入って告白してくれた人もいましたが、私よりお給料が低いことが分かると断ることもありました。
このまま彼氏もできず結婚もできないのかと思うと、将来が不安になりました。そんなとき前田先生のホームページで「AC(アダルト・チルドレン)」という言葉を知りました。
私の人生は母に支配されていました。
しかし、このままでは何も変わらない。勇気を振り絞って、カウンセリングを受講しました。こんなにも自分のことを否定されずに、しかも長い時間話したのは初めてでした。
母はいつも私が話す前に口を挟んできましたから。自分のことを話すと心がポカポカするというか、何ともいえない心地よい感覚になりました。
依存症を改善する心理療法をおこなってもらったとき、頭の中の半分くらいが母で占められていた現実を目の当たりにしてショックを受けましたが、それと同時に、母のことを考えている時間がもったいないとも感じました。
「母の期待に答えなくては」という気持ちは、まだまだなくなってはいないけど、カウンセリングを進めることで、今までの自分を変えられるかもしれないと思えるようになりました。
少しずつ変われたらいいなと思います。
仕事もプライベートも表面的にはうまくいっていましたが、学生の頃からなんとも言えない「虚しさ」「疎外感」に襲われることがありました。
この感覚はどこからきているのか?母との関係に問題があるために、この感覚を感じていることには薄々気がついていましたが、誰にも話せませんでした。「元気で明るい自分」というイメージを壊したくなかったのです。
私は一見すると、何の悩みもないように周囲から見られていました。
同僚からも、「Aさんはいいわね。いつも明るくて元気で悩みがなさそうで」と言われていましたから、周囲からはそう見られていたのだと思います。
でも、母との関係だけうまくいかないんです。他の人間関係は問題がないのに、母と話しているとささいなことで暴言を発してしまい、時には怒りが抑えられなくなり、暴力的になってしまうこともありました。
このままでは母を傷つけてしまうのではないか、そんな不安からカウンセリングを受けることになりました。
親とのことを話しているうちに、幼少期のことを思い出しました。幼少期に母からされたことが「心の傷」になっていたようです。
それは、自分だけいつも「除け者扱い」にされ続けたことでした。あるとき、目が覚めるとひとりぼっちでした。「お母さん、○○(妹)」呼んでも返事がありません。二人はどこに行ってしまったのか?不安でとても心細かった記憶があります。
しばらくして母と妹が帰ってきました。2人は食事に行っていたのです。
なぜ起こしてくれなかったのか、母に問いただしましたが、「だって、○○ちゃんは寝てたから」「○○ちゃんは一人でも大丈夫でしょ、お姉ちゃんなんだし」との回答。
このような場面が何度も何度もあったのです。
私だけ誘われない。私だけ除け者扱い。私は本当にこの家族の人間なのか?私は母に嫌われているのではないのか?そう思うようになりました。
大人になってからも、そのように感じることは続きます。たまに帰省しても母は妹のことばかりを話し、目の前にいる私のことは何も聞いてくれませんでした。
やがて母の顔を見るのも嫌になり、何か言われるたびに、何とも言えない激しい怒りがこみあげてきて、暴力的になることもありました。
母とは縁を切るべきか、しかし、この先、結婚して子どもができたら母に頼らなければならない。せめて、母との関係を普通にしたい。でも、母の顔を見ると怒りがこみあげてしまう・・・
どうしたらいいのかわかりませんでした。
カウンセリングで「過去の記憶を書き換える」心理療法をおこなってもらったとき、「本当はこうしたかった」ということをイメージの中で再現したことで、そのとき自分が何を求めていたのかわかるようになりました。
もう一度つらかった出来事を思い出したときには、過去の自分を、映画のスクリーンにうつる主人公みたいに見ることができて、自分のことなんだけど、他人事のような感じになって、一瞬ですが、母への怒りが薄らいだような感じがしました。
だからといて、母を許す気持ちにはなれませんが、つらい過去を思い出しても少しは楽になる方法を知ることができてよかったです。
前々から人目が気になってしかたがなく、とても「生きづらい人生」を送ってきました。
仕事はなんとかこなせていましたが、休憩中がしんどかったですね。何年も同じ顔触れの人たちなのですが、何を話していいのか分からず、表情がぎこちなくなり、変な汗も異常なくらいかいていました。
人間関係がおっくうになり、毎日が楽しくなく、また明日も仕事に行かなければならないのかと思うと、胸のあたりがズドーンとなり、気持ちが重くなりました。
特に朝がつらく、やっとのことで仕事に行っている状態で、このままでは自分がどうにかなってしまうのではないか、仕事に行けなくなってしまうのではないかと思い、前田先生のカウンセリングを受けることにしました。
カウンセリングを受け、僕の生きづらさは、「アダルト・チルドレン」だとあらためて自覚できるようになりました。
対人関係をさかのぼると、中学生くらいからうまくいっていなかった記憶があります。友人らしき人がいなかったわけではないけれど、いつも表面的な付き合いで、心底信頼できる友人はいなかったように思います。
違和感はありましたが、友人関係なんてそんなものだと思っていました。
家庭環境はとても複雑で、両親が不仲で居心地が悪く、父はお酒を飲むと暴れる人で、僕への暴力はありませんでしたが、母はいつも殴られていました。
そんな母を助けなくてはと思いつつも、怖くて助けることはできませんでした。父はいつ暴れるか分からなかったので、いつも父の顔色を伺ってビクビクしながら生活していました。
そんな家庭環境でしみついてしまったクセが、「自分をさらけ出せない」「誰にも相談できない」「弱みを見せられない」「人に甘えられない」という、生きづらさにつながっていたのですね。
でも環境によって作られたクセは、修正できることを教えてもらったとき、少しだけ希望が持てたというか、明るい気持ちになりました。
今でも生きづらさを感じることはありますが、カウンセリングで教えてもらったことを実践して、少しずつ本来の自分自身を取り戻していきたいと思います。
30歳のA子さんは、暴力をふるわれていたわけではありませんが、母親から次のようなことを言われて育ちました。
母親の彼女を責める言葉は、「なぜ親の言うことがきけない!」から始まり、「なぜ返事をしない!」「なぜ泣く!」・・・とおよそ答えられない叱責ばかりです。
そして、それはどんどんエスカレートして、「どうして生まれた!」「どうしてそこに座っている!」「どうしてお前はここで生きているの!」という地点にまで追い詰められていくのでした。
泣いてもだめ、謝ってもだめ、最後はへとへとになり、石のように凍りついて意識がもうろうとします。
「私は生きていてはいけないのではないか」という感覚が、もう5~6歳の頃から心の奥底に横たわるようになったのです。
そんな彼女にとって、それでも母親はたった一人の親です。その母親と同居してくれることだけを条件に、現夫と結婚し娘をもうけます。子どもには私のような人生は送らせたくないと、彼女は妊娠中から育児書を読みふけりました。
心の中で、幸せそうな子どもと自分が一緒にブランコに乗って笑っている光景を思い浮かべながら出産したのでした。
ところが娘が3歳になった時、口ごたえをする娘の言葉を聞いた途端、思わず娘をたたいてしまいました。
そんな自分にショックを感じた途端にたたくことが止まらなくなってしまったのです。恐怖でひきつった娘の眼を見た時、彼女がその中に見たのは、遠い昔の自分の眼でした。
それからしばしば娘をたたくようになった彼女は、そのつど自分を責めるのでした。責めれば責めるほど、たたいたり暴言を吐く回数は増えていきました。
そしてついに「なぜ生まれた!」と叫んでしまった自分に気づいた時、絶望してしまったのです。
そんな藁にもつかむ思いで書店を訪れ、何気なく手にとったアダルト・チルドレンの本を読みました。
読み進むうちに、わけもなく涙があふれて止まりませんでした。
「そうか、私はあの母親からされたことを娘に繰り返していたのか・・・。それなら、ひょっとして、止められるかもしれない!」そう感じた彼女はカウンセリングにやってきました。
親との関係で身についたものであれば、それは変えることができるのです。
ACの自覚は、このように、次の世代に苦しみを伝えない覚悟につながり、子どもたちの幸せな未来にもつながることなのです。
元気で一人暮らしをしていた85歳の母親が突然脳内出血で倒れ、入院しました。
55歳のB子さんは一人娘なので、母を自分の住まいの近くの病院に転院させ、面倒をみる決意をしました。
公務員のB子さんはアルコール依存症の夫と別れ、マンションで一人暮らしです。二人の子どもは自立し元気に暮らしています。
ある日、仕事が終わってから面会に行き、母の体を拭いてやろうと思って寝巻を脱がせた途端、どうしても手が震えて母の体に触れられないのです。
あまりのことに自分で驚いてしまったB子さんは、呼吸を整えてもう一度触ろうとしたのですが、やはりできません。
看護師さんが来たのでなんとかその場をとりつくろってはみたのですが、帰り道「なんという娘だろう、私は」「なんてひどい人間なんだろう」と、自分でも自分が信じられず、自分を責めるばかりでした。
B子さんの父はアルコール依存症で早くに死亡し、母が女手一つで彼女を育ててくれたのです。
そんな苦労をかけた母に触れられないなんて・・・と帰宅しても眠れない一夜を過ごしました。
そのことを翌日親しい友人に相談したところ、友人は「あなたはACじゃないかしら」と言うのです。初めて聞く言葉でしたが、何となく自分自身を解くカギになるのではないかと直感を持ち、本を買ってみました。
そこには彼女の母に対する感情、これまで抑えてきた怒り、見るまいとしてきた母からの支配・・・などがまるで自分のことのように書いてあったのです。
そしてB子さんさんは自分と母親の関係を、今一度ACという言葉で整理すれば、なんとか母を介護できるまでに、また母の体に触れられるまでになれるかもしれないと、カウンセリングにやってきました。
このように、親が一人で生活できなくなり、介護の責任を自分が背負わざるを得なくなった時などに、これまで抑えていた親への感情が思いもかけない形で出てくることはよくあることです。
それを否定したり責めたりしないで、カウンセリングを通し、「私はACだ」という視点で見つめていくことで、自分への親への感情が整理されます。
決して親を許せないにしても、それなりに平穏な親との別れができるようになるでしょう。
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